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スエズ運河の大型コンテナ船事故でわかったこと

2021年4月4日


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スエズ運河は政治的経済的に歴史的にも現在もとても重要な場所です。

3月23日にスエズ運河で発生した大型コンテナ船エバーギブンの座礁事故は、3月28日にようやく離礁し、スエズ運河は再び運航ができるようになりました。

この船は愛媛県今治市の正栄汽船所有ですがパナマ船籍で、船員は全て外国人です。エジプトのスエズ運河庁ラビア長官は座礁による損害額が日本円で1100億円を超える可能性があると指摘しています。船主の正栄汽船は資本金6000万円で従業員29人お会社です。コンテナ船「エバーギブン」は親会社で日本最大の造船会社の今治造船が建造したものです。正栄汽船は船舶保険料として年間数億円の保険料を三井住友海上などに支払っており損害額は保険金でカバーできる見通しです。

「エバーギブン」日本の海運会社の所有ですが船籍はパナマで船長はじめ船員は全て外国人です。なんと日本の国際貿易船の61.3%がパナマ船籍で日本は9.1%です。船籍を外国にする理由は船舶登録が安価で容易であること。外国人船員の配乗も容易だかとのことです。

日本は貿易立国で、輸出入貨物の99.8%が船舶による輸送です。せめて日本が所有する本船には船長や航海士などは日本人が乗船し何かあれば日本がコントロールができるようにすべきです。最大で400隻以上が沖待ち状態になり、コンテナ船「エバーギブン」の座礁からの離礁が遅れれば国際貿易に重大な支障が出るところでした。

1905年の日露戦争でロシアのバルチック艦隊はスエズ運河を通れず3ヶ月で日本海に到達できたのが7ヶ月も要しました。当時スエズ運河を管理していた英国が日英同盟を結んでいた日本を支援するためバルチック艦隊のスエズ通過を認めなかったからです。

バルチック艦隊はアフリカの希望峰を回らざろうえませんでした。英国はアフリカの港で石炭の供給をストップさせました。長い船旅でバルチック艦隊将兵の士気は落ち、ハンディキャップを背負った状態でようやく日本海に着きました。東郷平八郎率いる日本の連合艦隊の旗艦三笠をはじめほとんどが英国製の最新鋭の軍艦でした。またバルチック艦隊の射撃の命中率は3%程度だったが日本の連合艦隊の射撃の命中率は10%でした。バルチック艦隊が8000メートルで撃ってきたが東郷が5000メートルまで砲撃しなかったのも命中率を上げるためでした。当時の各砲の個別射撃方式に対して一斉射撃方式を採用し、下瀬火薬という最新の火薬の活用など最先端技術を駆使しました。
日本海海戦の勝利は日英同盟と米国の支持を背景に最新の戦艦と最新技術に武士道精神を持った強者たちの大和魂の結集した必然の勝利でした。

1905年12月21日の「連合艦隊解散の辞」で東郷平八郎は次のように述べています。

「神は平素ひたすら鍛錬に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取り上げてしまうであろう。昔のことわざにも教えている「勝って、兜の緒を締めよ。」

戦争の時代でも平和の時代でもどこの国が海上を支配するかが重要だと思われます。

なぜかスエズ運河の事故でこんなことを考えました。(文責)佐藤健一