国内外でのあれこれ(3)
次に縁を感じたのは、ベルギーへの赴任です。
これは、セネガル国で仏語をやっていたことや、各種税関手続きに係る業務経験もあることから、英仏語が公用語の国際機関である関税協力理事会(CCC、通称世界税関機構:WCO)への出向となりました。
赴任前からWCO事務局から連絡があり、パソコンのキーボードは仏語でいいか、また着任早々仏語のミッションが北アフリカに赴くこととなっているが、このミッションに参加しないかと当時の手続部のスイス人である次長がいろいろ聞いてくるので、とりあえず英語のキーボードにしてとか、ミッションは準備もあり、また家族が後から赴任してくるので住居探し、家具の準備や、子供の学校を決める等、直ぐにはいけないとの事情を説明し、了解を得ました。
1.WCO(CCC)の歴史・組織
戦後荒廃した欧州を復興するため欧州各国は欧州経済協力機構(OEEC)を設立するとともに、欧州経済協力委員会を設置し、ガット原則に基づく欧州関税同盟の設立を検討するための関税委員会及び経済委員会を設け、共通関税率表の土台となる関税分類品目表及び関税評価の定義の作成を目指した作業等が進められました。このような活動が世界的な広がりを見せ、新たな国際機関を設立することとなり、関税制度の調和・簡素化と関税行政の国際協力を専門とする関税協力理事会(CCC通称WCO)と、世界的視野に立って国際経済全般について協議する経済協力開発機構(OECD)が誕生しました。
WCOでは、当時関税技術局(監視部、手続き部)、品目表・分類局及び評価・研修局の3局がありました。
2.改正京都規約
1973年5月18日に策定された国際条約である「税関手続きの簡素化・調和に関する国際規約」が京都で採択され、その後京都規約と呼称されるようになりました。
この規約は、広範な税関手続を定めており、また条約ではなく規約といわれるのは行政協定の扱いとして国会承認を受けておらず、実際の手続を規定する附属書について受諾のみならずその後いつでも国内法令との相違により留保ができ、立法上の拘束がないとの理由で国会承認が不要とされたことによります。もっとも、当時京都規約は本文と31附属書からなりますが、本文と少なくとも1附属書を受入れれば受諾国として認められました。
我が国は74年にこの条約に加盟しました。しかしながら、この条約の成立から20年近くが経過し、その近代化に向けて作業を行うためのプロジェクトチームを立ち上げることが93年のWCO常設技術委員会において決定され、小生が派遣されることとなりました。
このプロジェクトは関税技術局手続部に設けられました。関税技術局は、局長の下に監視部及び手続部に2名の次長がおり、手続部には職員6名、アタッシェ1名(後に1名増員)で、このプロジェクトは主に4名で進められました。
もともと京都規約ができた背景には、WCOを含む国際機関での税関手続に関する議論や、世界貿易機関(WTO旧GATT)における累次の関税引下げ交渉による関税水準の低下等に伴い、税関手続の問題が重要性を増してきたことが挙げられます、
WCO赴任前ですが、中国税関当局から日中韓において保税に関する比較研究を行いたいとの要望が提起され、小生や保税担当者を含め3名で赴いたのですが、その際この研究会の垂れ幕には京都条約ではなく、京都規約として中国語で書かれていることにはびっくりしました。つまり、上述したように中国でもこの条約の受諾について我が国と同様の手順を踏んだものと思われます。また、韓国でも同様であると伺っています。
3.改正京都規約の概要
まず、本文では第1章第1条定義から始まり、第5章(最終条項)第20条登録・真正な文書からなり、条約の受諾は本文及び一般附属書並びに1以上の個別附属書又は同附属書中の章の受入れが必須となっています。また、それぞれの条項について拘束力のないガイドラインが示されており、具体的な手続きが網羅されています。
次に、一般附属書(核となる10章の規定)は、第1章一般原則、第2章定義、第3章通関・諸手続き、第4章関税・内国税、第5章担保、第6章税関取締、第7章ITの利用、第8章税関と第三者との関係、第9章税関から提供される情報、決定、規則及び第10章関税に係る訴えからなります。
さらに、10個別付属書(A-K除くI)及び同附属書中に25章があります。A(関税領域への貨物の到着):1章物品申告書提出前手続、2章物品の一時蔵置、B(輸入):1章国内使用のための通関、2章同一状態での再輸入、3章輸入税の免除、C(輸出):1章通常の輸出、D(保税倉庫・自由貿易地域):1章保税倉庫、2章自由貿易地域、E(積替え):1章保税運送、2章積替え、3章物品の沿岸輸送、F(加工):1章国内での加工、2章国外での加工、3章ドローバック、4章国内使用のための加工、G(一時輸入):1章一時輸入、H(関税法令違反):1章関税法令違反、J(特別な手続):1章旅行者、2章郵便物、3章商業用運送手段、4章保管、5章救援物資、K(原産地):1章原産地2章原産地証明書3章原産地証明書の管理があります。
本文、一般附属書、個別附属書及び個別附属書中の章並びに拘束力のないガイドラインという構成は旧規約と違って一般附属書が追加され、またこれまでの附属書が個別附属書に代わり、新たに個別附属書に章が設けられ、さらにガイドラインを付記するという形式となっています。この一般附属書は、我が国関税法第6章の「通関」において輸出及び輸入をまとめて規定していることから、これに着眼して各旧附属書から核となる、或いは重複する条項を取りまとめて一般附属書とし、また新たに関連するIT、税関と第三者との関係等をこの一般附属書に網羅したものです。さらに、個別附属書中に設けた章は、それのみでも受入れることが可能となっています。
従って、各国がこの条約を受諾する際には本文及び一般附属書並びに1以上の個別附属書又は章を受入れることが必須となっています(旧規約は本文と1附属書以上が必要)。
2026年1月現在140ケ国がこの改正京都規約を受諾しています。
我が国は、旧規約を71年、改正規約を2006年6月26日に受諾し、一般附属書及び個別附属書A1章、2章、B1章、3章、C1章、D1章、E1章、2章、G1章、H1章、J1章、3章、4章を受入れています。
なお、税関手続は、改正京都規約以外にも、WCO-HS分類条約、WTO関税評価協定、WTO原産地規則等の国際条約に沿って規律されているといえます。
また、日本関税協会発行の「貿易と関税」誌(96年5月号)に当時の状況を「WCOの最近の活動2(京都規約について)と題して関税技術局長だったTweddle氏の名で掲載しました。もちろん同局長の了解を得て、小生が自由に書かせて頂きました。後日ブリュッセルの日本人レストランで局長、次長を含め7名で、この時に頂いた原稿料を使って食事会を催し、皆さんに日本食を楽しんで頂きました。
このプロジェクトは、小生の在任中には終了せず後輩に任せました。
その後2001年には、このプロジェクトに参画した関係で、セネガルで行われた改正京都規約セミナーの講師としてフランス人WCO職員と一緒に参加しました。小生が作成した仏語のパワーポイントは仏式パソコンでは読み込めず、先方の指示でArialの文体に変換してようやくスクリーンに映し出すことができたという苦い経験があります。
4.ベルギーの首都ブリュッセル
ブリュッセルは、EU本部があることから国際都市として機能しており、また、道路網は東西南北にオ-トルートが走っており、しかも無料で通行できるためどこにでも行ける要衝にあります。
小生もこのオートルートを使い、北はオランダ国、南はルクセンブルグ国、スイス国、イタリア国、西はフランス国、スペイン国、ポルトガル国、東はドイツ国、オーストリア国と家族旅行をしました。印象としては、東側へのルートは言語上ドイツ語、英語の世界で、比較的車数が少なくスムーズに走れました。北はオランダ国ですが、ベルギー国の地方語であるフラマン語と近く、また英語にも近いということもあり車数は格段に多く、また西のフランス国はベルギー国首都ブリュッセルや、南部では仏語が話されていることから比較的多くの車が見られました。南はルクセンブルグ国、スイス国を通じてイタリア国に行けます。スイス国も国際機関があり、英語、仏語が通じますが、イタリア国はイタリア語ですので、コミュニケーションに少々手間取りました。
5.旅行での思い出
特に印象深かったことは、スペイン北西部にあるキリスト教の聖地サンチアゴ・デ・コンポステーラを家族で訪れたことです。ここは、ローマ、エルサレムと並んで世界三大巡礼地のひとつである巡礼の最終地であり、イエスの十二使徒の一人である聖ヤコブが殉教した後ガルシア州に運ばれ埋葬された墓の上に大聖堂が建てられたといわれています。人気のある主な巡礼ルートは、フランス国のサン=ジャン=ピエ=ド=ポルからピレーネ山脈を越えてスペイン国のロンセンバージェスという「フランスの道」を徒歩で約1月の道程(780km-900km)を行くものです。立派な大聖堂の入り口には栄光の門があり、巡礼者が祈りを捧げてきた柱があります。
ベルギーからの道中の話ですが、車で往復したのですが、新年休みの時で雪の多い時期でしたので、行きはフランス国でちょっとした峠となっている所があり、車が並んでいました。各車は先の車が無事にこの坂道を上るのを待って次の車が行くということをしていました。小生の車もその列に並んで待っていたのですが、いざ順番が来るといささか上るのが大変だなと思いながら走ったのですが、思うように走らずスリップしながらなんとか上まで行くことができたこと、また帰りにはオートルートのような道路で走っていると雪が多く、またフロントガラスに雪が凍り付いてワイパーを回し、ヒーターの熱気をフロントガラスに向けてもこの状態が収まらず、パーキングで他のドライバーに聞いたところ、石鹸の原液を吹き付けてワイパーを回すといいと教えられたのですが、いかんせん皆ドライバーはトイレの石鹸原液をボトルに入れて車も入れているものですから、すべての原液容器がもぬけの殻で大変な思いをしました。
6.小学校
当初、上の子は日本人学校に入れ、下の子は日本で幼稚園児であったことから仏語の現地校の幼稚園にいれました。どちらの学校もアパートから近くにあり、また現地校は大型のスーパーがあったことから買い物に大変便利でした。
まず、下の子については現地校の校長先生に会い、子の入学をお願いしたところ、2つ条件があるといわれ、①は親御さんが学校の行き来に同伴すること(後で気づいたのですが入口のドアの上に大人しか届かないような簡単なドア止めがあり、これを外さないと中に入れない)、②仏語での学校なので、英語の使用は禁止とのことであり、子供たちはまだ英語も仏語もわからない状態であることから、異論はない旨話しました(家内も一応仏語を学校で習ったことがある)。しばらく幼稚園に通っていると担任の先生から子は何年何月生まれかと聞くので何年何月といったところ、先生から他の子供よりも背が高いから疑問に思って聞いたけれど、小学1年生と思うので校長先生にお話したらどうかと言われ、直ぐに相談に行きました。すると、校長先生から私の話を聞いて子供は1年生だからと言われ、直ぐに1年生のクラスに入ることができました。後日、仲良しだった日本の友に手紙を送り、お前はまだ幼稚園だけど俺は小学1年だぞと威勢の良い調子で書いていたことを思い出します。
上の子は日本人学校で勉強していましたが、下の子がお菓子をもって楽しそうに学校に行くのを見て現地校に行きたいと言い出しました。そこで、校長先生にお願いして、上の子が現地校に行きたいというので日本人学校が3月に1月ほど春休みになるので、試しに入学させて頂き、その後本人がどうするか決めるのでお願いできないかと申し入れをしたところ、校長先生は快く了解していただきました。春休みが終わる前に校長先生にお会いし、子が現地校に決めたことをお話し、早急に手続きを取って頂いたことで、入学することができました。現地校と、土曜日だけある日本人補習校に通うこととなりましたが、日本人学校とは別組織であることから、年間授業料は別途支払うこととなり、いささか理不尽であると感じました。また、現地校に通う子に随伴する親御さんはおじいさん・おばあさんが多く、おそらく両親が共働きが多いのではないかと思いましたが、子のカバンはこれらの老人が持って学校に行くというような状態で、むしろ私たち親がなぜ重たいカバンを持たずに子に背負わすのかと冷たい視線を浴びせられました。
日本に帰国する際、担当の先生がなぜ日本人の子供が家で日本語しか話していないのに、クラスでは仏語の勉強ができるのかと他の子供たちに檄を飛ばしていました。因みに、子の同じクラスに留年している子供がいることを話していました。小学生で留年とは少し早すぎる気がします。
(以 上) 浜田 栄